2019年4月23日火曜日

新たな気づき

二つの事例のうち、わが家のエピソードを一つ取り上げてくださり、参加者のみなさんと考えることができました。
その時の思いを、例会の最後にうまく言えなかったのですが、今湧き上がっている思いを文にできればと思います。

パセージ初心者の私なのに、偉そうにもパセージを学んでいない家族の対応にイライラしていました。
しかし、ロールプレイングをしながら、その対応の中に私には見えていなかった適切な側面がたくさんあるということに気づかせていただきました。

そこで思ったのは、今回のエピソードに限らず、本来は誰も好き好んでその場を掻き乱そうなんて考えないし、周囲と仲良く、平和に過ごしたいと思っているということです。
それなのに、私が負の注目ばかりしていたせいで、悪循環に陥っていることがこれまでたくさんあったんだ、と気づきました。
問題を取り除こうと思って、良かれと思ってすることも、そもそも負の注目をしているからだと。

不適切だと思う行動にも、よい側面はたくさんある。
それに私が注目し、信頼することで「私は能力がある」「人々は仲間だ」につながるのではないだろうか。
いろいろとややこしいこともあったけど、今日1日家族のみんなは元気に過ごしてくれたではないか。
そう思うと、泣きたくなるほど家族のみんなが愛おしく思えてきました。

この感情を定着させるために、例会での学びを積み重ねて、自分の中に染み込ませていきたいと思いました。
それも今回二つの事例を深く考えることができたからこそだと思います。
ありがとうございました。

2019年4月22日月曜日

パセージはヒントの宝庫

今回は事例を2つ扱いました。
個別に感想を述べていくととても長くなりそうなので、誠に勝手ながら全体的な感想をつづってみたいと思います。

今回の2つの事例は全然違う状況なのですが、終了後に感じたのは、「Aの事例で参考にした
パセージの内容は、Bにもあてはまるし、逆もそうだな。」ということです。
パセージを何度も受講されている方にとっては当たり前のことだとは思いますが、パセージ
テキストのどのページも、子育て、ひいては人間関係を築くにあたってはヒントの宝庫
だということを改めて感じました。

パセージテキストに書いてあることは、「こういうときはこうする」みたいなマニュアル集
ではなく、アドラー心理学の考え方が常にベースになって、すべてがつながっているんだ
ということを今更ながら実感しました。
特に、まだパセージの内容を聞きかじり段階の私にとっては、どこか子どもとの関係に
困ったときには、「これはパセージのあのページを使えばいいのかな」という計算が働く
ことがありました。
今回の事例に限らず、例会では何度でもテキストに立ち返り、内容を確認しながら代替案を
考える作業を繰り返しますが、それはマニュアルとしての確認ではなく、パセージの根底を
流れるアドラー心理学の考え方に繰り返し触れることで、自分の意識の中に浸透
させていくのが目的なんだなとも思いました。

パセージを一通り受講すると、自分と子どもとの関係は目に見えて改善します。
しかし、パセージを知らない家族のふるまいを見てはモヤモヤを感じていたり、
子どもとの関係でパセージの内容をマニュアル的に意識すると、意図していない結果が
出てきたりすることもあるかと思います。
今回、2つの事例を同日に扱ってみることで、パセージではすでに学んでいるはずなのに、
見落としていたことに気付くことができました。
「あ、自分にはこういう視点が決定的に欠けていたな。」と。

おしるこさんは事例を2つ扱ったことで、時間オーバーしたことを気にされてましたが…。
本来、時間配分などはきっちり決められていることも承知の上で、私としては2つやった
からこそ気付けたことがありましたよ。

4月度の例会報告

3月度の例会報告が出来ないまま気がつけば、昨日が4月度の例会でした。^^; スミマセーン!!

でも、下のお二人の感想に感動しております!ありがとうございます!
3月度の例会後のBBQも楽しかったですね。素敵な思い出になりました。

さて、4月度の例会ですが、30分も延長してしまい、本当に申し訳ありませんでした。
強引に2事例扱わせて頂きましたが、失敗だったかなぁと反省しております。
ご意見ご感想をお待ちしております。

2019年4月15日月曜日

べんきょう

先月31日もまた貴重な時間を過ごさせて頂きました。
いつも帰ってから、「うちの家ではどうなのか」「私はどうなのか」と考えられることばかり事例提供していただいて感謝してます。
今回の事例は「べんきょう」がキーワードでした。この川西アドラー勉強会にも「べんきょう」という言葉がついてますが、「勉強」や「べんきょう」という文字を眺め続けてると、「こんな言葉あったかな?」とふと思ってしまいます。。
べんきょう、ってなんだろう…みたいな気持ちに。。

うちの娘たちには、アドラー勉強会やパセージなどの講座へ行くときに、「べんきょうに行ってくるね」と伝えると、上の娘は「ああ、あの怒らなくなるやつな。怒ってるけどな」と言われて、下の娘には「べんきょうきらい」と言われます。なので、下の子は「べんきょう」という言葉は嫌いで育っていくので、この先どうなるのかな。。でも、私の想像する「べんきょう」と今の彼女のいう「べんきょう」はなんか違うだろうから、そのうち彼女の中で言葉の理解が変わるかな、と思ったりしてます。

そんなこんなを考えながら、31日の事例を考えさせてもらって、ロールプレイもさせてもらいました。お母さんの不安を解決する糸口は、パセージの中にいっぱいある、と感じます。当人の事例提供してくれたメンバーさんもそれは分かっていました。でも、子どもさんがうちよりも大きく成長していると、生まれる不安も大きい。アドラーとは違ったアプローチも必要なように感じてくる不安…
ああ、いつか私にもこの時が何年後かにやってくるんだろうな…と思いながら聴いてました。

おしるこちゃんの進行のもと、エピソード分析が進んで。。
子どもさん、お母さんの適切なところが次々と上がっていき…
私はパセージに関係ない言葉がで何度も出そうで、それを止めるのが自分で勝手に困っていました。。ついつい口から滑りそうになるなんの根拠も無い言葉だったり、そこは本人が「こうですよね」と行き着くべき所はこちらからは触れないでいるというか。。

お子さんも、お母さんも真っ直ぐに生きてこられて、だからこそ成長したお子さんとぶつかっておられるエピソードでした。
最後に元号の話となり、なんだろな、と心待ちにする人は穏やかな心の持ち主だな、と思いました。