2019年12月18日水曜日

自分の感情を原寸大で表現する

正の注目で言葉掛けをしたいのに、子どもをおだてているように感じて声掛けがためらわれたり、自分の感情を偽っているようで、結局どんな風に言葉を掛けたらよいのか分からず、黙ってしまうことがありました。

今回、我が家の事例を取り上げていただき、+1程度のわずかな気持ちの動きを、あたかももっと大きいものであるかのように表現しようとしているために、言う方も言われる方も不自然さを感じていたのだと分かりました。
プラスの感情をもって言葉をかけるということは、何もないものをあるように表現したり、小さなものを大きく表現する必要はなく、わずかであっても生じたプラスの感情そのままで相手に伝えることが勇気づけになるのだと目からうろこが落ちる思いでした。

日頃、自分のマイナスの感情に気付くことは多々あっても、プラスの感情はそう度々感じるものでもないと思っていましたが、ほんの少し、0から+1に振れることならありそうです。
その場、その時のプラスの感情を見逃さず、素直に表現できるようにしたいものです。


2019年12月17日火曜日

私的感覚って

「ここが私の私的感覚ということですか?」など、参加者メンバーさんたちで話をしてなんだかとても新鮮でした。
 パセージやパセージプラスを受けて用語を知っていく、というのとはまた違い、ふと参加者メンバーさんが話ながら、「これって…?」と気づいていかれる様を目の当たりにすることは、こちらの学習をも確実にスピードアップさせるものがあります。

 年齢のためか元々か、私はしょっちゅう記憶喪失になりながら過ごしているので、勉強したこともすぐにすっ飛んでしまいます。。もしかすると、長い年月をかけて培われた(笑)固定観念が、次々と問いかけてくるパセージやパセージプラスの観念を次々とはねつけているのかも。。とにかく読みながら感動したのにすぐに忘れる(^_^;)))

 それだけに、メンバーさんがハッとしたりした様を見ながらの方が私は学習しやすいのだな、とつくづく今回の勉強会を通じて感じました。

 私はエピソードを出したわけではないですが、少し自分の話をする際に、東日本大震災の時の高校生の話を引き合いに出しました。中途半端な紹介のしかたになったので、彼女の名誉のためにもこの場であらためて私の記憶に残る範囲でお伝えさせてください。
 あるテレビ番組の特集で、何人かの方々が、あの大震災と津波の中での経験を赤裸々に語り、これからの人生を力強く生きていこう、決意されていました。その中の一人が、名字は忘れましたが、当時高校生のみさきさんでした。
 みさきさんのお母様は、津波に流されながら何度もみさきさんに助けを求めたそうです。でも、手をさしのべたら自分も一緒に流されるのは確実な状況で、みさきさんは「生きることを選んだ」のだそうです。お母様は流されていき、帰ってこられませんでした。これは彼女の究極の選択であったのだろうと思います。そこに他人が入る余地なんて欠片も無い。私は、インタビューにしっかりと応じる彼女の姿を忘れることは無いと思います。
 
 今回の勉強会で、このことを思い出したことに、私の私的感覚が何か関係があるのかどうなのか、これからも学んでいくことで発見したいです。
 
 

2019年12月15日日曜日

12月例会報告

今日は、令和元年最後の川西アドラー勉強会でした。
5人で和やかに出来たかなと思います。

わがままな自分のままでも、他の人の役に立つように...
大切なことを思い出させてくれた今日の例会でした。

参加者の皆さんのご感想もお待ちしています。